2012年12月11日火曜日

言いづらい地域への愛着

 大学に入った時は、初めて地元を離れた。違う人と出会って、楽しいと思ったが、時々困ることがあった。それは自己紹介だった。
 新しいところに行って、自己紹介はもちろん欠かせない。自己紹介をする時、名前+出身地+趣味は普通だ、名前と趣味はまあまあ大丈夫だが、出身地に行くと、私みたいに小さい町から出る人にとっては、ちょっと厄介なことだった。
 「皆さんこんにちは、○○です、出身地は○○省、趣味は○○です、よろしくお願いします。」と私は自己紹介をした。
 それで必ず「○○省ですか、市は?」の質問が来た。
 「えっと、北の方ですが...」厄介だなと思って、曖昧な表現でごまかそうとした。
 「まさかA市ですか。」質問はまだまだ続いた。
 「あ、違います、A市のとなりです...」仕方がなく、「実はB市なんです...」と正直に言った。
 そして相手はきっと「B市ですか、聞いたことはないですね...」の返事に来て、その場の雰囲気はちょっと微妙になった。
 「小さい町だから、しょうがないですね...」と苦笑いながら、そう言った。
 日本に来ても、この状況が変わらない。日本人は中国の地理あまり知らないから、よくA市の近くと曖昧に紹介する。
 少し前に、ネットである動画を見た。地元の人は有名なお見合い番組を参加した、自己紹介の時、大都市の女の子にからかわれた、「そんな貧乏くさい田舎聞いたことはないよ!」と。この話、地元の友達の中ちょっと話題になった、「地元はちゃんと誇りを持ってるのに」、「お見合いだったら出身地じゃなくて、人柄を重視すべきではないか」と皆はそう言った。
 私は黙ったまま皆の怒りを見ていた。あの女の子は間違いない、地元は確かに貧乏だ。成立して10年も経てない、経済力は省内一番下、鉄道さえもない、そんな地元は貧乏だと言っても過言ではない。
 地元は昔々の時、結構豊かな土地だった。お米とお酒の名産地で、京杭大運河と繋がり、皇帝が江南に行った時よく地元の御所に泊まった。しかし近代に入ると、運河に依存する商業が衰えた、上海を中心する経済圏は地元にあまり遠いから、経済の発展はずっと遅い。前はずっとほかの市に付属したが、90年代ようやく成立し、どんどん発展していく、それにしても、差があまり大きすぎる。
 
 今いる研究室のテーマの一つは地域活性化だ。地域の愛着という言葉はよく出てきた。愛着か、ちょっと贅沢な言葉ではないかと自分は思った。大都市に対する劣等感、地元に対する複雑な気持ち、自分はこの土地を愛するとちょっと口に出しにくい。
 経済を発展するために、外資をいっぱい導入しようと歴代の市長はそう主張した。しかし、そう簡単なことではない、省内のほかの都市と比べて、全然優勢がない上、都市を建設するための人材がどんどん大都市に集中してゆく。若者はだいたい大学をきっかけに、地元を離れて大都市で稼ぐことになる。自分も同じだ、日本語を専門だから、恐らく地元に帰っても仕事がない、友達と話してる時、よく「もう地元帰るな」と言われた。まさに「若者の離れ」だ。
 昨日、東海大学の河井教授講演を聞いて、ちょっと考えてみた。地元は実際誇れるものがあるが、どうやって差別化を作り出すか、どうやって編集して皆に知られるのは問題である。あまり知られないことは逆に売れるところになるではないかと思い始めた、皇帝の逸話、英雄の生涯、白酒、美味しい料理...一つ一つだけではなく、シリーズとして全部出したらいいじゃないかと。しかし、問題はツールである。
 大分前の時、地元はWeiboで公式アカウントを開設した、自分もフォローしてみた。結構心を込めて運営してると思う、やりとりをちゃんとして、内容も深く考えたようで、問題はなかなかインパクトがなく、集まる人は地元の人だけだった。もちろん、地元の人が感心することをつぶやくのはいいが、ほかの人にRPするのはもっと重要だ、従って地元への愛着も深める。何か中国初ができたらいいなと考えたが、なかなか難しいことだ。

 去年地元に帰って上海を経由した時、常連する掲示板のオフ会を参加した。そして、やはり自己紹介の問題が出てきた、でももう慣れたから別になにも問題がなかった。オフ会終わった時、ある女の子は急に私に声をかけた。「実は私の父もB市出身なんですよ」と、「小さい時上海に来て、友達にからかわないように、それからずっと上海人と自称した」彼女はてれそうに話した。私は「そうですか」と返したが、心のどこか痛くなる。
 いつか、誇りを持ちながら言える日が来たらいいな...

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