2013年7月11日木曜日

ネタとパロの使い分けから

 私は「ネタ」と「パロ」の使い分けはよくわからない。
 pixivでイラストを見るときよく目にする「死ネタ」「現パロ」「転生パロ」とか、意味は分かるが、なぜ「死ネタ」で、「死パロ」とは言わないか、調べても納得できる答えが出てこない。
 まず「ネタ」の意味だが、日常でよく使われているのに対して、どういう意味かはっきりと答えることができない。さらに、二次元における「ネタ」の意味はもっと曖昧で、「ネタバレ」「小ネタ」「元ネタ」など造語がいっぱい出てくるものの、「ネタ」の元の語源と離れた傾向が見られる。
 「ネタ」の語源について、私はニコ動百科から見つけたこの解説に特に気に入った。
 128 : ななしのよっしん :2013/07/06(土) 00:06:23 ID:6U+XqZ/7md
KYで悪いが、語源は>>1が書かれているように、タネ(種)の逆さ読みなのな。メーアーリーフー(=雨天)とかと同じ符丁なんだが、ネタという言葉は江戸時代から使われている。寿司のネタも、もとは寿司の種、である。種にはシードという意味から派生した、「基になるもの」「材料」という意味があって、これがネタの直接の意味。つまり、本質を伴ったものの根幹を成し得ないものは「ネタ」ではない。(cf. 元ネタ、漫才のネタ)ましてや、ネット上に騒擾を誘発する類の作り話は、本来ネタという語の企図するところではないだろう。[1]
  ポイントは二つある。一つは「本質」で、もう一つは「根幹」である。この解説から見ると、「死ネタ」など造語の中で間違っている使い方が多い。また「パロ」の意味について、二次元における使い方はこのように。
基本的には「元ネタを知っている」ことを前提に、それを引用してもじったり、へたに真似たりすることで、引用・改変したこと自体を楽しむのがパロディである。[2]
この意味だと流行っている「進撃の巨人OPパロリンク」「デュラララ!!EDパロリンク」の使い方は正しいと判断されるが、前あげた例「現パロ」とかどう考えても妥当できない部分がある。
 もちろん言葉の意味は常に変化している、語源だけこだわってだめだと思うが、どうすればネタとパロの使い分けを理解すればいいかまだ解明できないままだった。
 語源ではなく、キャラの属性と世界観の関係から理解を得られると最近は考えてきた。例えば、「死ネタ」と「中の人のネタ」この二つよく使われるタグ、どっちでも原作の世界観から離れていない。それに対して、「現パロ」「学パロ」「転生パロ」など、明らかに原作の世界観を捨て、自分なりの設定(現代社会、学園、転生)を含める、だがキャラの萌え属性を重視しているという共通点がある。
 私の母語は日本語ではないので、パロとネタの使い分けは単なる言語上の習慣かどうかはっきり言えない、また派生語を作った人はどこまで意図しているかも分からないが、属性と世界観から理解すれば、その使い分けは納得できると思う。

 キャラの属性と物語の世界観の関係性の視点から、東浩紀氏は「動物かするポストモダン」で、オタク系文化の特徴を「データーベース消費」だとまとめた。東浩紀により、90年代大ヒットした「エヴァンゲリオン」が「キャラ萌え」を重視し、物語がいらない「データベース消費」の代表だった。それに対して、70年代から人気があった「ガンダム」シリーズの世界観や歴史観が充実したため、「物語消費」の代表だとされている。[3]
 図1の示したように、物語消費は上の画像で、データーベース消費は下の画像である。
 本が出されてもう10年以上経ったが、物語などなくても、データベースだけでコンテンツ消費は成立するという考え方はまだ通用している。今日私たちアニメやマンガを見て、消費するのは「小さな物語たち」であり、私たち二次創作して、消費するのは「設定」である。

 図1

 東浩紀は本で「二次創作」について詳しく述べたが、今オタク文化では「二次創作」だけで止まっていなく「三次創作」「四次創作」など「N次創作」まで行ってる。
 「二次創作」は「キャラ萌え」を重視し、世界観はどうでもいい、用いるかどうかキャラの「萌え」をアーピル次第である。しかし、「二次創作」にもとづいて出された「三次創作」には、世界観の設定は欠かせない。以前、設定の組み合わせはマンガの作者やアニメの制作者の仕事だったが、今オタクたちも自ら設定を組み合わせるようになった。
 さて、なぜこのような「N次創作」が出てきたかとういうと、ニコニコ動画やpixivこのような相互性が高いサイトと関係があると考えられる。それについて、濱野智史は、相互作用を促す触媒的な存在が必要で、「タグ機能」がその触媒として役割を担っていると分析している[4]。しかし「タグ機能」は別に珍しいものではない、ニコニコ動画やpixivだけではなく、Twitterやinstagramなど今ほとんどのサイトはタグ機能がついてる、なぜN次創作が盛んでいるのはニコニコ動画とpixivだけなんだろうか。タグをつけられるのは「自分」か「他人」かという点はとても大事だと思う。Twitterやinstagramは自分がタグを入力という仕組みである、それに対してニコニコ動画やpixivでは他人でもタグが編集できる。他人にタグをつけられることによって、相互性が高まり、N次創作の可能性が生じるわけである。
 
 少し唐突だが、ここでおしまい。


参考文献:
[1]http://dic.nicovideo.jp/a/%E3%83%8D%E3%82%BF
[2]http://dic.pixiv.net/a/%E3%83%91%E3%83%AD%E3%83%87%E3%82%A3
[3]東浩紀著「動物化するポストモダン―オタクから見た日本社会」講談社現代新書 2001年
[4]濱野智史 「ニコニコ動画の生成力」「思想地図〈vol.2〉特集・ジェネレーション」 日本放送出版協会、2008年
図1東浩紀著「動物化するポストモダン―オタクから見た日本社会」講談社現代新書 2001年 pp51
 


1 件のコメント:

  1. 面白いね♫このトピックも~

    語彙論的(Lexicon)な部分から研究することもできるし、語用論、プラグマティズム的な観点からも見ることもできますね。

    若い人たちが使ってる生きた言葉(正しいか、正しくないかは別として)は、まさに言語学でも最も扱いが難しい、「周辺的」な現象だと思いますよ~

    でも意外に基本的なフレームワーク(シェマ)は変わらないような気もするので、その部分がいかにして活用されてきたのか、なぜ活用されてきたのかって部分には関心がありますw

    僕の専門はSyntax(統語システム)ですけど、言語学にはまだまだ未解のなぞが多いですね~

    え・・・、おおげさでしたか?笑

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