2015年11月28日土曜日

トマトはカレールウ

 ご飯のおかず一つだけしか選べない場合、私間違いなくトマトたまご炒め(番茄炒蛋)を選ぶ。そう、よく中華の定食で見かけるあの可愛らしい中国家庭の定番料理。

 作り方は家庭それぞれ、私が好きなのは、まずたまごを炒めて、潰せずに大きなかたまりを残したままトマトを入れる。トマトも大きいほうが嬉しい。ケッチャプは好みで入れてもいいが、塩を少し振って、それだけで十分美味しい。妹もトマトたまご炒め好きだが、私と違って、たまごとトマトが潰された状態でご飯に混ぜって、そのトロトロの食感が好きだという。小さいとき、母がトマトたまご炒めを作ってくれると言ったら、必ず作り方で妹ともめる。

 日本に来たら、なんだかトマトたまご炒めがプチ贅沢みない存在になった。なぜかというと、トマトが高い。
 スーパーに行ったら、トマトだけは他の野菜に一線を引いたように見える。同じくらいの大きさで、二つ四つくらい綺麗にパックされて、なんだか高級なフルーツに見えなくはない。その値段もフルーツ並で、キャベツや白菜、みんな100円以下手に入れるのに、トマトパック一つ三百円ぐらいして、貧乏な私にとって、買う前になかなか決心が必要だ。
 中華に行ってもあまりトマトたまご炒めを注文しない気がする。あまりにも家庭料理すぎるから、外食にはほかのやつがいいよなと思ったりして、たまに注文したら、トマトたまご炒めとご飯は別々出てくるので、「カレーライスみたいな感じで食べたい!ご飯を少しずつ崩して、汁を掬ってそれに絡めて食べたい!」「さ、最後まで均等的にご飯とトマトたまごを食べたい!」といつも心の中で叫び、豪快にトマトたまご炒めをご飯の上にのせる。
 業務スーパーでたまに300円六個のトマトが買える。そのときの嬉しさは大きい。自分の好みで調理できるし、自分の好みで盛り付ける。六個中、四つをトマトたまご炒めに使う。残り二つ、一つはそのまま皮ごとに食べる、もう一つは冷やしトマトにする。
 
 トマトを冷蔵庫に三日ほど放置したら、少しだけ青っぽい皮がすっかり赤になって、全体的に柔らかくなった。調理するのは本当にもったいなくてそのまま食べちゃう。トマトの汁が手につけて、甘さが口の中で広がる。食べ応えのある皮と種、ゼリーみたいな果実、世の中そんな食感が豊かな野菜はほかないよねと考えながらもぐもぐする。

 ツイッター上の中国クラスタのなか「中国ではトマトに砂糖をかけるなんてありえない」みたいな発言を目にしたことがあるが、まあ好みの問題だけだしと思いながらトマトに砂糖をかける。砂糖をかける目的にはほかでもなく、トマトから水を出すためだ。外部濃度が高いと、トマト細胞内の水分が、細胞の外側に出ていき、細胞が収縮する。これで「トマトだし」が取れるわけだ。溶けた砂糖のトマト汁が甘くて小さいときの大好物だった。近所の中華料理屋さん、冷やしトマトに砂糖、お酢などが混ぜたものをかける。甘すっぱい食感で結構美味しい。どうしても砂糖に抵抗のある方なら、まずこれからお試したらいかかでしょうか。



 
 私にとってトマトはカレールウみたいな存在だ、どんな料理でもトマトを入れたら、トマトの味と色によって染める。だが、トマトはカレールウを超えた存在で、そのまま食べられるし、食感も豊かだ。世の中トマト好きな人をもっと増やしたいな、これでトマトの値段少しだけでも下げるのかな?

さて、最後はヘタリアの『おいしい⭐︎トマトのうた』で締めるね。

2015年11月6日金曜日

从南方公园s19e06看yaoi,BL,耽美的区别以及腐宅向词义在传播中的语义变化

 (本文是突发性的产物,掺杂大量中日文和个人的推论与偏见。另外,本文设定读者是对腐女/腐以及宅文化有轻度了解的人群,因此在此文中并不解释何为腐,喜欢腐文化的心理等问题。若对此有疑问,推荐阅读维基百科中文的bl词条以及《「腐」の小时代 》一文。)



        引子是安替老师的这条推。
  观察这条推的回复我们可以看到有三个词是被作为同义词使用的:BL、耽美以及原推里提到的yaoi。在一般人看来,三者并无太大差别,其实追根溯源,其语义以及包含的感情色彩是并不相同的。但是由于在腐向文化传播及其推广过程中,为了减少其传播阻力,我认为故意忽视其语感并用同类词代替的行为是广泛存在的,这导致了今天所谓的“二次元”圈子内对三个词的混用,以及一般人对其认识的模糊。
  所以在本文中将就其词义进行深入的探讨,并在本文结尾处就这个问题给出我所认为的正确答案。


一、yaoi,BL,耽美的不同语境
  语言在使用过程中,不仅要解释其原本的意思,派生的意思,更要了解其感情色彩以及使用语境,然而遗憾的是,在对话和讨论中,我们大多数情况下会忽视原来的意思以及感情色彩,而这两者的关系比我们想象得更加息息相关。
 1、yaoi
  1.1 yaoi的原意
  yaoi一词源于日语「やまなし、オチなし、意味なし」的首字母(yama→ya、othi→o、imi→i)。其意思是,作为构成故事的高潮(やま)结局(オチ)以及意义(意味)并不存在,言下之意只有性行为。原本用来泛指完成度低下的漫画作品,所以包含贬义。
  yaoi一词历史悠久,由于其蕴含的消极色彩,所以和“腐女子”一词的诞生及广泛传播在我看来是相辅相成的。但是由于其日语解释复杂,并不一目了然(特别是「オチ」的内涵,对日本文化没有足够的了解很难体会其深意),所以在腐文化进入中国大陆的初期,并没有被大规模地使用(据作者本人的记忆)。而这个词被广泛熟知的契机来源于被改编为电影的描写腐女女友生活的四格漫画,《隔壁的801酱/我的腐女友》(「隣の801ちゃん」。801是日语中yaoi的「語呂合わせ」,一种用数字代称词汇的记忆方法)
  1.2 yaoi与二次创作/同人的关系
  如今BL或者是yaoi被作为同义词使用,在日本也不会对其使用有特别的区分,但是从狭义的角度来看,还是有稍微的区别的。yaoi在狭义上指二次创作的衍生作品,其实这在某种程度上是合情合理的。因为作为完整故事所需要的高潮,结局以及意义都在原作中可以被获得,所以角色之间只有性行为的描写是可以被理解以及被需要的。而包含原创作品的BL,在某些情况下则需要作为故事的完整性。所以我们可以将下列词汇分成两个互相关联影响但在本质上并不等同的语群,由一般读者所主导的二次创作,yaoi,CP(coupling),社团,copy本等,与之对应,由出版社专职作者所主导的商业志,BL,原创作品等。
  所以我们可以尝试着为yaoi进行一个定义:有漫画小说等原作故事为基础的,由一般读者主动创作的,以男性角色之间性描写为主的一种文学创作形式。

  2、BL
  在上文中有提到BL,BL即boy's love,日本人创造的和制英语。很多人在科普关于腐女知识的时候经常会说,BL就是boy's love,少年愛(此处「少年愛」取其日文原意,在下文不做特殊说明也均为日文。),也就是美少年之间的爱情。
  这种说法其实有若干个错误,①BL并不完全等于少年愛,少年愛只是其作品类型之一。②少年愛也不仅仅只限于少年之间的爱情少年愛的日文原意包含成年男性→少年和少年⇄少年两个意思,但是在传播过程中被望文生义,在中国网络传播的语境下往往只作为少年和少年之间感情的代称
  当我们追溯到早期描写少年之间感情的漫画时,会发现无论画风还是情节设置上,都与现在日本所谓的少女漫画有很多相似的地方。其实早期BL漫画可以算作是少女漫画的一个分支。1970年代,作为开拓了这一作品类型先驱的,萩尾望都(《托马的心脏》)、竹宫惠子(《风与木之诗》)等都是少女漫画家出身。在这些作品中,其主人公与其说是少年,更不如说是“中性”,甚至是超越性别的某种存在,寄托了原作者的某种幻想。少女漫画家们利用这种第三者的视角和存在反思男权社会,寻求探索更加抽象的问题的一个渠道。
  80年代由于艾滋病的影响,一般民众对男同性恋人群有了更多的了解,带有一定“幻想”要素的少年愛也逐渐退出舞台,被更加彻底的描写男性之间“性”的作品而取代,其代表是直到今天也依然有着巨大人气的吉原理恵子老师的《間之楔》,这部作品一改女性向作品中出场人物纤细的“少年”形象,取而代之的是无论外貌还是性格、说话方式都充满阳刚之气的“男人”,故事内容中更是有大胆的性描写。而当时连载这部小说的则是日本著名的女性向杂志「JUNE」。
  JUNE同时连载小说和漫画,在初期JUNE几乎成了腐向内容的代名词。但是80年代后期至90年代初期,《足球小将》的走红以及印刷成本的下降,以Comic Market为代表的同人志即卖会影响力增大,使得民间的力量(≈yaoi)终于于商业志势均力敌。无论是JUNE还是yaoi都无法完全包含涵盖女性向腐向内容了。在这个情况下BL一词终于应运而生,成为一种集大成的存在。据随笔家的杉浦由美子描述当时BL杂志BiBLOS的编辑看到少女漫画的宣传口号「for girls love」,随口打趣说那我们就是「for boys love」。于是BL一词就这么地诞生了。
  所以在这里我们可以对BL进行如下的定义,以男性之间感情描写为主的,主要服务女性读者的,包含所有商业/非商业的原创和二次创作的各种表现形式的统称。

  3、耽美
  耽美这个词,比起在日本在中国大陆和台湾的腐女中用的更加广泛,不得不说是一个很有意思的事情。引子中提到的yaoi的翻译,有人说是耽美,其实从内涵上来说,不如是这几个词中跟yaoi关系最远的词。
  原产于英法的唯美主义思潮,在日本被翻译为「耽美主義」。其主要特征之一是大量运用象征手法、追求感官/美的享受,内容上涉及同性的恋爱、性虐待等。像上文所提到的「少年愛」漫画一样,在少女小说的分支中也出现了美少年为主角的恋爱小说。这些小说,细致入微地描写了英气的美少年们对于是否应该爱上同性的苦恼以及渴望追求完美的爱情的心境。与唯美主义的方向一致,所以这种类型的小说也经常被形容为「耽美的な文体」。久而久之,成了同性小说的代称,而「耽美小説」成为一个专有名词则是90年代初的事情。
  耽美在某种意义上是作为作品类型的「JUNE」的同义词,所以我们可以在这里可以对耽美进行这么一个定义:受唯美主义印象影响的,以烦恼于同性感情追求完美爱情的少年为主要描写对象,文体优美,由商业主导的一种小说类型。

(在次文化圈中被广泛运用的ホモ、ガチホモ甚至是淫夢等一些词汇,从其在大陆及港台的传播范围以及使用人数来看,没有上文中提到的三个概念影响力大,所以在此文中对词义本身及其历史不做赘述。)



二、传播中产生的语境变化
  同属于汉字文化圈,所以在文化传播方面,大陆港台对日本文化的吸收有着绝对的优势,但是也正是由于这种拿来主义的影响,导致词义语境变化巨大,被错误使用的情况屡见不鲜。不过这种错误的使用也在某种情况下反映了大陆港台特殊的社会环境,值得深究。所以下面将会就传播中产生的语义变化以及为什么会产生这种语境变化进行一些讨论,提出一些我认为合理的推测。

  1、为什么yaoi,BL,耽美三个词汇会被混淆?
  在日本,yaoi,BL,耽美有着各自产生的社会历史背景,所以词汇诞生的时期和所被认知的程度并不相同,即使出现误用也可以追根溯源。然而腐向内容作为一种新型的文化传入中国时,对于不懂日文使用汉字的中国人来说,理解这三者概念的困难程度BL>=耽美>yaoi。为了更快被认知,词汇背后所蕴含的社会历史背景被有意无意忽视的情况并不奇怪。
  而且,作为BL老铺的JUNE杂志,在2000年后发行量逐渐减少,04年更是休刊退出了历史舞台,所以从一开始就失去了作为一种文艺作品类型而被中国腐女熟知的机会。综合以上原因,无论yaoi,BL,耽美都作为腐向内容的一种统称而被认知,这三个词在中国网络世界,只存在惯用句式的差异,并不存在本质上的区别。比如说我们会使用“耽美小说/BL漫画”的组合,但是我们并不使用“yaoi漫画”或者“yaoi小说”这种表达方式。

  2、为什么在欧美yaoi这个词被运用得更广?
  引起安替老师发这条推的应该是本季《南方公园》的最新话--《Tweek x Craig》。这一话中来自亚洲留学生们创作Tweek和Craing的同人图,并让小镇所有人都觉得他们是一对真正的gay couple。

  
  从上图我们可以看到BL(boys' love)是作为yaoi的同义词被使用的。Stan的爸爸在打电话给Mr Jinping的时候我们也可以通过他的措辞看到这一点。




  如果按照我们在上面对yaoi,bl,耽美三个词进行的定义。其实我们可以较真一点地说,对于南方公园的居民来说,用yaoi指代Tweek和Craing的关系并不准确。因为对我们而言的二次创作(yaoi),对南方公园的居民,以及生活在南方公园的亚洲留学生而言,实际上是一种真人cp,即RPFReal person fiction、日语中又称「生モノ」)。
  那么,为什么会出现剧中用yaoi指代二次创作及相关现象呢,我认为这和hentai一词的使用方法在欧美已固定这一前提是分不开关系的。Hentai(ヘンタイ,汉字是変態。但是在片假名和汉字使用的时候有语感的区别,作为片假名使用的时候单纯指代欧美圈使用的hentai)一词在英语圈是指日本成人动画作品及其表现形式。按照同样的思路,完全成人化、可以作为某种作品类型统称的、可以体现表现形式的词--yaoi也就成了这一类作品的代称。


三、所以yaoi到底应该如何翻译?
  最后让我们回到冒头中的问题,yaoi究竟应该如何翻译?其实我们的小天使Kyle已经在剧中给出了正确的答案。yaoi是一种服务女生的,以男性同性爱情为主要描写对象的一种表现形式。



  然而这个结论或许并不让人满意。或者说因为缺少了语境,所以安替老师所问的问题的答案从一开始就并不唯一。
  若想要得到唯一的,精确的答案,我们可以把问题扩充为下面几个。
  
  1、日语中yaoi的原意是什么?应该如何翻译成中文?
  2、在网络上被广泛使用的yaoi,bl,耽美是否有本质上的区别?
  3、南方公园s19e06中的yaoi是什么意思?这种说法是否准确?应该如何翻译成中文?

  而这些问题,相信您看到这里,已经知道答案了不是么?:)

2015年9月1日火曜日

はちこの就活日記(下)

はちこの就活日記(上)

 就活の本1冊2冊読んだら、だいたい就活の「理屈」がわかるようになってきた。面接のとき絶対欠かせない下記のようないくつの質問、実は論理性があるものだと理解できるだろう。
 
 ・将来の夢/ビジョンはなんですか。
 ・入社後やりたい仕事はなんですか。
 ・学生時代頑張ったことはなんですか。
 ・自分の強みはなんだと思います?
 
 将来の夢/ビジョンは入社後やりたい仕事につながり、業界の志望動機や企業の志望動機となっている。頑張ったことから自分の強みを気づき、自分がいかに会社の望む人材に一致するのかアピールできる。
 従って、面接のとき自己PR兼ねての自己紹介はこのようなテンプレートとなる:

 ◯◯大学◯◯学部の◯◯と申します。私の強みは◯◯です。具体例を挙げます、_____________。このような経験を通じて、__________を感じまして、____________(業界/職種)を志望いたします。御社は________________という強みを持ちます/展開をされます、私は_______の仕事/夢を実現したいと考え、御社で頑張りたいと思います。

 論理的に整理できれば、どこでも通用できると思うのだが、問題となるのは、大抵の学生、将来自分なりをやりたいのか、夢はなんなのか、やりたいことはなんなのか、よく理解してない。
 上の世代の人がよく若者を批判するような文言になるが、実はその通りだと思う。皆それぞれ大きな夢小さな夢を持ってると思うが、現実の壁にぶつかり、諦めたり心の中にひそめてじっと隠れたり、最後仕方がなく「就活用」の夢やビジョンを作り上げる。その結果、差別化できない、理屈が合わないなど、いろいろと矛盾が生じ、就活もうまくいかないわけである。
 
 そこで私が考えた効率的なやり方は、日本の問題点はどこだと考えてみください。
 今、あるいは近い将来(特に2020年のオリンピックに向けて)日本社会の問題点は様々あると思う、労働力不足、福祉問題などなど、そのなかあなたが一番問題視/関心を持ってるのはどこだろう。その問題点から出発し、各業界ができること、向き合うべき姿、理想の姿、それは業界ないし企業への志望動機に成り立つ。
 考え方としては:
 1、日本社会の問題点はどこにあると思う?(=ビジョン)
 2、志望の業界なら何ができる?(=業界への志望動機)
 3、この会社はこの問題点についてこういった取り組みをした。(=企業への志望動機)
 4、私が考えた理想の姿は_____。(=入社後やりたいこと)
 5、こういった仕事をできるため、____の素質が必要となる。(=私の強み、その強みを証明するため:学生時代頑張ったこと)。

 ということは、自己紹介のテンプレートはこうになる:
 ◯◯大学◯◯学部の◯◯と申します。私は___で来日し、日本社会の___について違和感を覚え、____という現状を変え、___業界に志望いたしました。そのなか、特に御社は___という展開をされており/経営理念をあげ、共感しましたので志望いたしました。私は入社後、___問題点についてさらに___といった仕事を携わりたいです。この仕事をできるには、◯◯という素質が一番大切だと思います。実は私も普段◯◯を意識しながら、行動しています。例えば学生時代、_____をしました。この強みで是非御社で発揮したいと思います。


 以上は私が思う就活の理論編で、次はQ&Aの形で就活のコツや心得を簡単に紹介したいと思う。

Q:合説や会社説明会のとき、気をつかう点は?
A:常に「志望動機」「自分の強み」を意識しながらメモを取ること。


私が実際とったメモを例にすると、
1 下準備としてHPを閲覧したうえ、質問したい項目を先に書いておく。
2 常に志望動機を意識しながら人事の話を聞く。
3 3色ペンを活用しよう。

(結局この会社落ちたけどな…)








Q:OB OG訪問のときどんな質問をすればいいか。
A:上篇でも紹介したと思うが、「内定勝者 私たちはこう言った!こう書いた!合格実例集&セオリー2016 面接編」 この本のなか、質問集があるので、参考としていいと思う。
 少しベタだと思われるが、私がよく質問するのは「志望動機はなんですか、入社の決め手はなんしょうか」だった。なぜかというと、私は志望動機と入社後やりたい仕事が一番大事だと考えているからだ。志望動機は盗んでもいいもので、説得力のある志望動機を盗み、自分の志望動機と比べながら見直す。そして入社の決め手は会社の強み、差別化に関係する。
 ちなみに留学生が聞きがちだが実は意味のない質問結構多くて、時々痛く思う。例えば、
 「留学生に求める素質はなんですか」→求める人物像と大して差はない。
 「留学生採用しますか」→大抵の人事は国籍関係なく優秀な人材を確保したいと返事するだろう。そしてこれも大嘘ね。

Q:GDのコツはなにかある?
A:まずできるだけ違う業界のGDに参加してください。なぜかというと、違う業界の課題や現状をある程度把握し、次の選考に有利だ。例えば、物流業界のGDに参加し、物流業界の課題はドライバー不足で、トレンドは3plだと認識した。そこで、IT業界のGDに参加し、流通のお客様の課題を解決してほしいというテーマを出されたら、ドライバーや3plの面から提案できる。ITや商社など様々なお客様と接するような業界、お客様の現状や課題を把握するには、GDへの参加は本当にいいチャンスだ。
 GDのコツは適切な時間で行くこと。グループの真ん中ぐらい座ったら場所的に議論に参加しやすいので、日本語力の不足は積極的な姿勢で補う。10分前に行ったら一番妥当だろう。

Q:学生時代頑張ったことはどう書けばいい?
A:コツはチームのなかで頑張ったことを書いてください。平凡な経験でもいいが、とにかくチームのためにやったこと、組織のためにやったことを書いてください。中国人や欧米の留学生なら、主張が強くコントロールされにくい、チームプレーよりも個人プレーが好きだと思われがちだ。
 そこで、人事に安心感を与えるため、チームと関わるエピソードを推奨する(日本でのエピソードがイメージしやすいと思うので、院生の方々も母国でのエピソードよりも日本で頑張ったことを書いたほうがいい)。例えば、ゼミを活発させるためにしたこと、アルバイトのチームで活躍したこと、チームの◯◯問題点を解決したこと。などなど。あと面接は日本語で行われるので、日本語勉強のエピソードはいらない、しゃべると自然にアピールになる。

Q:いつから準備したらいい?
A:少なくとも3ヶ月前は目安。説得力、論理性のあるエピソードを用意するには、時間が考え込む時間が結構必要。大学は日本語学科で日本で就職したい場合、大学院を選ぶとき、就職のことも視野に入れて一度考えてみよう。そこの学生さんの構成、先輩たちの就職先、先生が就活への寛容度などなど、聞いておくといいかも。

 
 ここまでは就活に関しての心得。最後、もう少しだけ文系の就職について語りたいと思う。

 6月、文科省は全国の国立大学に「文学部や社会学部など人文社会系の学部と大学院について、社会に必要とされる人材を育てられていなければ廃止を検討せよ」という通知を出した。
 理由として、人文社会科学系は就職しにくい、専門知識が使えないことがあげられた。
 私はそう思わない。文系の就職は理系以上に論理性が必要、そのための文献の読み取り、自ら勉強を進む姿勢、表現する力などなど、すべて私が文系大学院で勉強してきた大切なもの。

 結局、見直すべきだったのはどこか、今の私何も答えられない。
 だが、日本はもう豊かな社会でなくなる。
 大学は教養を深めるところでなくなる。

 そしてその結果はおそらく、

 日本は留学先としての魅力がなくなる。
 経済および労働環境の悪化で日本で就職したい留学生の方が少なくなる。
 労働人口が少なくなる。
 日本の魅力を伝える外国人が少なくなる。
 ……


 私がそれだけは見たくない。そして私は自分の手で何かを変えたい。

 周り小さな「世界」、私が好きなこの「日本」。

2015年8月27日木曜日

はちこの就活日記(上)

 どうも、はちこです。
 ツイッターでもご報告したと思うが、就職が決まって、ようやく東京に行けるようになった。三年前まだ福岡にいたとき、漠然としていつか東京に行きたいと思って、今実現に近づいたので、すごく嬉しかった。既卒で文系院生、ちょっとレアなケースになるかと思うけど、それでも就活の進み方などは日本人の学生と同様で、そのなか感じたことや心得を皆さんと共有したくて、どなたの役に立てば一番幸せだと思います。

 まず自分のスペックを簡単にご紹介。
 中国出身。2011年10月来日。大学は日本語を勉強してた。2013年4月国立大学の院に入って、社会情報学を研究してた。文系、プログラミングはできない。英語は試験前猛勉強して辛うじてTOEIC700程度、インターン経験なし。2015卒なので、M1のとき就活をしてた。そのときマスコミに興味があって、いろいろ受けてたが、ギャップが大きいことで諦め、まず卒論に専念したと決め、2015年3月から就職活動を再開した。

 次は就活簡単な流れ。
 3月〜4月は商社、物流、メーカー、IT、食品卸など様々な業界を見てたが、5〜6月は軸が必要だと考え、範囲を物流、IT、商社に縮小。7月は物流とITに迷っていたが、やがてITに決心。8月は基本面接、8月中旬第一志望会社の内々定をゲット。参考としてマークした会社の数もちょっと紹介する。
プレエントリーした会社の数:60社ぐらいはあるかと思う。
(大まかな内訳:総合商社5社。専門商社5社。物流10社。旅行3社。メーカー10社。SIer15社。通信5社。プレエントリーしてからそのまま放置の会社は15社ぐらい)
説明会を参加した会社の数:4、50社ぐらいはほぼなんらかの形で説明会に参加した、合説よりも会社説明会を重視。
エントリーシートを出した会社の数:会社説明会に行った会社はほぼ出した。40社前後。
選考に参加した会社の数:30社前後
(内訳:書類選考まで10社。一次面接まで10社 二次面接まで10社 最終面接まで5社)
内々定の会社の数:2社(旅行、SIer)
 
 最後は使ってた参考書のご紹介。

2015年1月30日金曜日

日本語勉強とSNSの話し

 きっかけはask.fmでいただいた質問だった。
twitterやFacebookなどのSNSははちこさんのこれまでの日本語学習に役にたったと思いますか。もしそうであるならどのような点で?そうでないならどうして?
日本語学習者なら、誰でも自分なりの勉強法があると思う。私の場合、TwitterをはじめていくつのSNSは本当に役に立ったので、経験とはいえないけど、「心得」として皆さんと共有したいと思う。ツイッターのフォロワーさんのなか、日本語を勉強したり、教えたりする方は結構いらっしゃると思うので、SNSの使い方や使い分けを出来るだけ詳しく書いて、誰かの参考になれたら嬉しいと思う。
 そのままask.fmで書いてもいいけれども、文字数が多かった(多すぎたorz)し、引用やリンクなどask.fmは表示できないため、ブログで書くことになった。質問してくださった方、本当に申し訳ないm(_ _)m 
 では本題に参りましょうー

 まず結論から言うと、役に立つ順位:twitter=blog=google > 各種の動画サイト > facebookやその他のSNS

 私は大学に入ってから日本語を勉強しはめた。
 最初の一年半くらいは本当にしゃべれなかった状態なので、特にSNSを使ってなかった。アニメを見るために、オンラインの動画サイトやダウンロードサイトはよく使ってた。あと、ヒアリングを練習するために、ドラマCDがダウンロードできるオンラインストレージサービスは高頻度で使ってた(はい、違法ダウンロードだと承知しておりますorz)。

 二年生の前半、N2が合格できてある程度日本語が理解できるようになったら、字幕なしのアニメを積極的に見て、日本語のマンガも読み始めた。この頃、偶然にAcfunでマクドナルド鬼畜動画のシリーズを発見、これでニコ動本家にたどり着いた。日本語の弾幕を見るのは楽しみとなった。

 三年生になって、ある程度書ける/しゃべれるようになったら、自分の主張を日本語で表現したくなった。人によって違うと思うけど、表現欲は一つのモチベーションになると思う。岡田斗司夫さんは岡田ゼミで言ってたことはすごく共感して、ここで引用する。
 言いたいことさえあれば人間っていろんな表現を駆使してボディランゲージを含めて言いようとするから、それは(外国語が)一番うまくなるコツなんだ。
私は昔から物事に対して結構考え込んだり、主張の強い人だ。日本語ができたら一つの表現の仕方が増えるので、どんどん日本語を使いたくなった。最初は本当にアナログで、作文の授業でいろいろ書いて、その後日本語の先生とディスカッションするのは楽しみだった。でもやはりだんだん満足できなくなって、もっといろんなテーマについて自由に自分の意見を書きたかったので、ブログを始めようとした。
 まずやってたのはAmebaブログだった→八子のブログ(旧館) 
 最初は本当に日常のことばかり書いたけど、後々読んだ本の感想、オタクネタ、中国の時事とかいろいろだった。当時、私は考えたことをすぐに日本語で表現できる能力がなかったので、ブログって言っても会話のネタ集みたいなもんだ。どういうタイミングで自分が話したいテーマを出して、どういう風に自分の意見を分かりやすく説明して、話し相手はどういう質問がくるだろうと考えながら記事を書いた。話しのもとは思考なので、たとえ使える単語が少なくても論理的に自分が言いたいことをあらかじめ整理しておけば、スムーズなコミュニケーションができる、日本語はまだ初級、中級の場合、下準備をしておいたほうがいいと思う。
 もちろん、毎日書くことがあるわけではなくて、ネタがなかったときは下記のブログの常連だった。
 ansan’s楽しい中国新聞(中国ニュース)
 ansan’s楽しい中国新聞(別館)
 ここで勉強したのは日本語だけではなく、(ネット上)日本人の考え方、日本人から見た中国、歴史観の違いなどなど。このブログの他のユーザーと喧嘩(?)するために、夜更かしして日中戦争の資料を調べた記憶があった…
 日本語を勉強しているかぎり、日本人と考え方の違いで衝突することは絶対あると思う。少しでも相手の考え方が分かればこのような摩擦は避けると思う。匿名は現実より日本人の本音が分かるので、ネット上建前のない言葉による攻撃が耐えられるならor理解できるなら、現実でも同じ話題がうまくそらすことができると思う(日本語の『文法』など直接関係はないけど、広い意味での日本語勉強だと思うねー)。
 こちらのブログ2010年10月から更新停止となって、その後自分もTwitterに夢中したので、定期的に中国関係のブログをチェックする習慣がなくなったけど、おかげさまで本当にいろいろ勉強できた。結構やりとりをしてた何人かは連絡先がまったく知らなくて、この場を借りて管理人も含め、感謝の意を伝えたいと思う。
 いろいろ勉強できまして、本当にありがとうございました。一緒に過ごせた時間、楽しかったです。
 
 ブログの場合、多分一年ぐらい続けば、自分のスタイル(書けるジャンルと書けないジャンル、興味のあるテーマなど)は分かってくる。八子のブログ旧館を少しご覧になったら分かると思うけど、私書いたのは、大雑把に分けると、以下五つに分けられる。そしてそれぞれツイッターや現在のブログの内容となった。
  日常のこと         →ツイッター
  映画、読書の感想      →ツイッター
  中国事情(速報)      →ツイッター
  中国事情(解説っぽいもの) →ブログ
  オタク事情(解説)     →ブログ
ここでツイッターとブログの違いが分かってくると思うけど、まずツイッターの話を言ってからにしよう。
 ツイッターはブログとほぼ同時期ではじまった。きっかけは蒼井そらさんが中国のネット上で話題になったこと。男性友達にツイートを訳してくれる?って頼まれて、自分もツイッターで好きな漫画家や声優さんの近況知りたくて、ノリノリでツイッターをはじまった。
 ブログでの文書ある程度まともな日本語だが、ツイッターでの省略語や流行語が多いため、最初はツイートを読み取るだけで精一杯だった。いろいろ調べて最初覚えたのは「リア充」だった。これで日本人先生の前に披露したら、その先生が他の先生に「この子、リア充って言葉知ってるよ」って嬉しそうに紹介して、私がネット上で丸覚える単語の意味を言ったら大ウケだった。ここではじめてツイッターの付加価値を身をもって感じて、ツイッターをやるモチベーションがさらに上がった。(ちなみにこれも私がネットスラングに興味を持つきっかけだった)
 有名人だけ見ると、やはり宣伝や告知のツイートが多くて、普通の日本人のツイッタラーはどういうふうに友達とコミュニケーションするのかを知りたくて、日本人クラスター潜入計画を実施した。フォローされたらフォロー返す(倍フォローだ!)、推薦ユーザーはとにかくフォローする。彼らの挨拶ツイートに入り込む。「おはようございます!今日もよろしくお願いします!」からスタート。これでフォロワーを増やしつつ、自分の関心事についてもつぶやく。普段自分が使う日本語と本物の日本人が使う日本語の違いを気をつけながらマネする。
 あと一つ重要だと思うのは、とにかくつぶやく、毎日30回以上つぶやく、何が思いついたらすぐつぶやく(受験生はお控えめに…)。ポイントは様々な場面で日本語を使うことだ。日本語学習者にとって、一日24時間全部日本語でコミュニケーションするのはもちろん理想だが、現実では無理な話だと思う。この場合、どうやって日本語を使う頻度をあげるかというと、やはり日本語でつぶやくことだと考えられる。スカイプ、ラインなどずっと自分の相手をしてくれる人がいれば(リア充爆発しろ)、ラインなどを使ってもいいと思うけど、自分みたい友達が少ない人はやはりツイッターをやったほうがいい。永遠に日本語で独り言ができるのはツイッターだけなのだ。今の出来事、今の気持ち、今の考え事、全部日本語で表現するのはとても難しいと思う。どのような表現が一番適切なのか、グーグルしてください。グーグルはいつでも、どこでもネイティブチェックしてくれるのだ。日本語で調べてつぶやく、そして日本語でリプライをする。一年以上続けば、日本語の流暢さは絶対違うと思う。
 もう一個おすすめしたいのは、ツイッターとブログを並行してご利用ください。なぜかというと、ツイッターで話し言葉を覚えて、ブログで書き言葉(この記事は結構話し言葉だが、ツッコミはお手柔らかに…)を練習する。さらに日本語の考え方、文章の構成もトレーニングできる。文書が長いので単調な表現だけでつまらない、類語、使い分けなどなど、調べているうちに身につけられる。なによりも自分が書きたいこと思う存分書けるのは魅力的だったね。

 ブログ代わりにFacebookをする方は結構いると思うが、私はFacebookがちょっと嫌い。現実で仕方がなく付き合う人もいるので、趣味でつながるツイッターのほうがずっと自由で、楽だった。Facebookはたくさんの機能を統合したことに対して、ブログは長文だけを読むところだった。友達の出来事だけ見たいというユーザーが多いため、長文や趣味などの話を書き込んでも誰も見てくれないだろう。以前小説を読んでFacebookで感想を書いてみたら、とある先生に「こんな本を読むより夏目漱石を読んでください」って言われてつらかった。現実の身分がどうしてもFacebookで反映されるので、どうも平等で話す場ではないと思う。Facebookでの「空気」は一番重いので、今ほぼ放置状態だった。
 Facebookは現実のつながりに基づいたものなので、よっぽどの社交性がないかぎり、多分充実しにくいと思うね。ただしブログやツイッターはほとんど趣味・共通の話題に基づいたので、ネットから現実へのプロセスはアリなのだ。現実のつながりと比べて若干もろいと感じられちゃうかも、本人次第だね。だから、Facebookは私の日本語勉強にあまり役に立たなかった。

 (書き終わったら見てみると、本題から離れたところちょこちょこある…こんな答えはいいかと思うが、一応これで…もし不満/不明な点があればask.fmで質問するか、もしくはツイッター/ブログでご連絡ください、また書き直すorz)

2015年1月6日火曜日

小さな出来事

 友達Lさんと仲良くなったのはある小さな出来事のおかげであった。ただ、その前にすでにLさんに薄い印象があった。

 大学院に入ってから間もなく中間発表があって、私たち新入生は手伝いに来いと呼ばれた。そこでLさんがいた。一緒に机を運んで、目線はどこに置けばいいかちょっと分からなかった自分が、ついLさんの格好を観察しちゃった。そこで、彼女のカバンのファスナーに綾波レイのキャラストラップがついたのを目撃した。あぁ...ダメだこいつ自分の趣味を隠さないどうしようもないオタクだって誰も気づかない小さなため息をして、思わず彼女の顔を見てしまった。そして目があった。わあ目があった!ってちょっと気まずいと思ったけど、お前の正体もう分かったぞ!って意味深に笑って、そして彼女もニコッと笑った。
 その後、過疎ゼミに所属している私がLさんの教授に呼ばれて、しばらくLさん研究室のゼミに参加するようになった。普段話す機会が増えたが、まだ「知り合い以上、友達未満」の関係で、まあ私は別に気にしていなかった。ある日、雑談していたとき、休日どうしようかの話が出た、そして名古屋にきたまだそんなに長くなかった私が、「あ、大須に行ってみたいな、まだ行ったことないよ」と言ってしまい、彼女が「いいね、私も最近あまり大須に行かなかった、案内するよ。今度の○曜日一緒に行こう!」と楽しそうに提案した。別に断る理由がないので「いいよ」と私は快諾した。

 そしてあの日。まんだらけで同人誌を一緒に掘り出して、好きなカップリングについて話し合って、大須の唐揚げを食べて普通に楽しかった。そろそろ帰るところ、ゲーセンの前に通り過ぎたとき、Lさんは「ちょっと待って」って言って、何だと思ったらクレーンゲームだった、そこに綾波レイのおもちゃいっぱい詰まって、彼女はホイホイでコインを入れた。そんなお金の無駄だってつっこみながら彼女プレイの姿を見て、三回ぐらいやって何を得られずに、彼女はようやく諦めた。自分はゲームに苦手であまりゲーセンで遊んだことないけど、せっかくゲーセンに来たので、二人で回ってみた。
 放課後の時間が過ぎたので、ゲーセンで制服姿のカップルや男子高校生の集団がちょいちょい見られた。ゲームに夢中する人はもちろん、彼らの多くはとあるマシーンに集まって、よく見たらプリクラだった。
 プリクラ、リア充ともの最強兵器、スーパーやゲーセンなどいろんなところに潜んでいるが、私は一度もそのマシーンを近づくことができない。美女たちがプリントされたカーテンカバーのインパクトが強すぎて、どうもカーテンを開ける勇気が持たない。たとえ入ってもどんなポーズをすればいいか分からない。可愛い系は私的に抵抗感がある、おかしい系は相当親しい友達じゃないとダメなんだ。そのため、ちょうどいいタイミングでちょうどいい友人と一緒に撮らないと意味ないんだ。
 私は今日の格好をチェックしてみた。化粧をした、まあまあ可愛い服を着てる、そして一人できたわけでもない。もしかして、これはプリクアデビューのチャンス?もしかして、これはリア充になる第一歩?
 「ねえ、プリクラ、やってみないか。」私は唾をごくりと飲み込むと言った。
 Lさんもびっくりしたようで、「む、無理よ!そんなリア充っぽいこと、私たち無理よ。」
 「し、心配するな、今日私たち別にオタクっぽい格好できたわけではないんだ。落ち着いて入れば、普通の人に見えるはず。」私は彼女を説得しようとして、自分にも勇気をつけた。
 私の話を聞いて、Lさんはちょっと動揺した。
 「大丈夫だよ、端っこのマシーンを使えば、誰も気づかない、中に入ったらダサいポーズをしても誰にもバレないし。」さらに推して、Lさんは頷いた、「じゃ行こう!一回400円高くないし。」
 
 心の準備を整えて、いざカーテンをあけ、中に入るんだ。とても小さな空間で、私とLさんはまた焦り始めた。
 「ど、どこからスタート?」
 「お、落ち着け、まずコインを入れるんだ!」
 「そ、そうだね。」
 100円を四枚入れて、真っ黒なスクリーンが急に光って、案内の画面になった。私とLさんが精一杯で説明文を読んで、「くそ、カタカナいっぱい読み切れないよ...」って文句を言いようとしたとたん、画面がカウントダウンになっちゃって、「3、2、1...スタート!」の音声が流れた。
 「や、やばい、まだ読み終わってないのに!」
 「ポーズも全然考えてないし!」
 完 全 に パ ニ ッ ク 。
 幸い、カメラの下に参考ポーズがあった。それは私とLさん最後の頼みの綱となり、無理矢理かわいい笑顔を作り、今時女の子のポーズを取って、かろうじて6枚を撮った。
 すでに精神的に疲れた私とLさんがマシーンの次の指示を待った。そして画面に「落書きスペースに移動してください」というメッセージが出てきた。
 え、うそ?プリントは同じ場所じゃないの?え?落書きスペースってどこ?
 再 び パ ニ ッ ク 。
 とにかく出るんだ、私とLさんはマシーンから出たけど、周りを観察してみたけど、マークや指示とか全然なく、きっと近くのマシーンだよねって私たちは思って、誰も入ってないブースに入って、そしてやっと落書きのメニューを見た。
 さっきまでの不快を全部忘れた。私とLさんはこの瞬間を楽しんでた、女子力高めの絵文字や図を入れて、初のデコレーションに挑戦した。やがてデコが全部終わって、私は満面の笑顔でLさんに「楽しみだな」と言って、プレビューを見たとたん、私もLさんも驚き呆れて、体が冷水を浴びたようにすくんだ。
 
 そこで映ってるのは私とLさんではなく、完全に別人だった。男子高校生二人組だった。とんでもない気まずさに襲われた私とLさんが、目線を合わせ、お互いの目から「三十六計逃げるに如かず」というメッセージを読み取った。
 私たちは今まで一番の冷静さを装って、まるで何百枚のプリクラを撮った達人みたいに話しながらそこで身を引いた。そして隣の誰もいなかったブースに入った。
 「捨てる神あれば拾う神あり」と言えばいいか、そこでタッチパネルで映ったのは私とLさんさっき撮った写真だった。時間が過ぎたから写真の背景のデコができずに、文字だけ入れた。私とLさんは無言でやってささっと写真をプリントアウトをして、まるで誰かに追われたようにゲーセンから一秒でも早く逃げ出した。
 走って走って駅近くてやっと安全だろうなと思って、私とLさんはそこで止まった。プリントアウトした写真をカバンから取り出して、見てみた。デコがなかったので若干しょぼく見えるが、デカ目と模範例を参考したポーズはちゃんと今時の女の子の感じだった。
 ほっとした私とLさんは再び目が合って、腹を抱えて笑った。笑いすぎて全然止まらなかった。その時から、私とLさんの間、はじめて「同士」っていう感情が生み出した。
 
 Lさんは私の性格と真逆で、時々Lさんのことめんどくさいやつだなと思うけど、彼女が私の持っていないモノを持ってるのは確実だ。知り合って最初の頃より、今は彼女のいろんな事情を知って、本当に彼女が幸せになってほしいと思っている。Lさんは卒業後、またヨーロッパとかで留学する予定なんで、今後会う機会は少なくなるかもしれないけど、会ったらまた馬鹿なことをしたいなとこの記事を打ちながら思った。
 日本に来て三年を越えた、こっちで仲良かった友達は帰国したり、またどっかに行ったりするので、せめて日本にいる間、彼らとのエピソードを書きたいなと思って、この記事を書いちゃった。多分シリーズものになっちゃうかも、タグは「はちこと愉快な仲間たち」に決定(笑)。