2014年2月5日水曜日

弾幕シリーズ(仮) 二、鬼灯の冷徹2話の弾幕を分析してみた(上)

 正直に言うと「鬼灯の冷徹」は中国でも大人気になったのは思わなかった。
 なぜかというと、中村光先生の「聖☆おにいさん」の評価がちょっと微妙だったからである。個人的にはすごく好きだが、宗教ネタが多すぎるのは原因かもしれないので、中国のオタクの中ではそんなに広く受けられない感じがする。テーマが似たような「鬼灯の冷徹」はそこまで受けたのは予想もしなかった、なぜ人気の差があるというと、まだ原作を読んでいる途中だけど、自分が考えたのはやはりネタとアニメ化の影響が大きいと思う。
 まず、宗教ネタについて。中国(現代中国と言ったほうが適切かも)は完全に無宗教だから、ブッダはまだいいが、イエス(キリスト教)の元ネタはあまりにも馴染まない。もちろん日本も無宗教だ、日本人は無宗派だとよく指摘されているが、自分から見ると、日本はとても宗教的な国で、日本人もすごく宗教的だ。当然欧米みたいな感じではなく、出産、結婚、葬式、日本人の生活には宗教の要素が多く含まれ、しかも様々な宗教の影響を受けている。従って、仏教だけではなく、キリスト教のネタでも受けられる。「鬼灯の冷徹」は地獄舞台で、ある程度宗教的要素が入ってるものの、「地獄」自体や仏教をネタとするところは少なく、あくまでも背景で詳しく知らなくても作品の理解に何も影響がない。「聖☆おにいさん」の舞台は東京の立川、わりと日常生活に関するシーンが多い。日本住みの人は漫画を読んで、「あるある!」と思うけれども、外国人はなかなか共感しにくいだろうなとちょいちょい思う。
 次は、オタクネタについて。鬼灯さんもブッダもイエスもある程度オタクと言えるので、作品の中でオタクに関するネタは数多く見られる。しかしネタの方向性はちょっと違う、鬼灯さんはどっちかというとアニオタ/物知り、イエスはどっちかというとゲーマー/特撮マニア、ブッダはどっちかというと漫画オタ、従って原作で出てきたネタの分野も少し違う、やはり特撮よりアニメのネタはうけやすいと思う。
 最後はアニメ化について。「聖☆おにいさん」は映画化されたが、映画の表現は原作と異なるところは結構あったので、一部の原作ファンの不満を招いた。やはりギャクマンガの場合、映画化よりアニメ化のほうがいいなと思ってしまう。

 では、弾幕の話を戻りましょう。
 鬼灯の冷徹を取り上げたのは大人気の以外に、ネタが満載で、ネタに対する違う反応を比べてみると随分といろんなことが分かるので、今回第二話を使って、分析してみた。

①OP:空耳は基本
この辺は両方ともやっているが、やはり言語の原因で空耳は随分違う。
中国語:地獄→挤蘑菇(キノコをつぶす)基友哭(ホモが泣く)もあるw
日本語:地獄連発で事後事後に聞こえちゃうよね(笑)       
        


②銀魂のネタ
 「ズラじゃない、桂だ。」
銀魂の人気は日中でも不動だと思うが、やはり日本語のネタになると中国の弾幕が薄い。「カニがズラに絡まっているズラ」に対する反応があまりない、字幕組にとって日本語のだじゃれを中国語に翻訳するのも難しいしね。


 遺品を見たシーン銀魂のネタ、新八=眼鏡また出てきた。それ以外に、鬼畜眼鏡のコメントもあって、やはりビリ動のほう女の子が多いイメージがする。

 
 同じシーンで、ニコ動のほうは「三途の川 渡し賃(六文銭)」についてのコメントが多かった。知らなかったので調べてみた、意外と面白かった。いちいち書くのはややこしいので、表を使って比べてみた。


中国
日本
地獄の玄関
奈何橋
注:①奈何はどうしようもないという意味②中国でも三途の川(忘川)があるが、渡舟がない。全員橋で渡るので、地獄の玄関と言えば、奈何橋のイメージが強い
三途の川

宗教
仏教と道教
仏教
由来
川の水は亡者生前の行為によってスビードが変わるため
渡河方法に三種類あったため
渡る方法
善人は簡単に渡るが、罪人は牛頭馬頭に「血池河」(三途の川のことかどうか知らないが)に投げられ、苦しみを体験する
渡舟によって渡河
孟婆
奪衣婆、懸衣翁
鬼の仕事
「孟婆湯」を飲ませて、亡者前世の記憶が忘れられる
六文銭を持たない死者が来た場合に渡し賃のかわりに衣類を剥ぎ取る
補足
地獄に行く→奈何橋を渡る
生き返る→銀の橋と金の橋を渡る
金の橋を渡って金持ち、権力のある人になれる。
銀の橋を渡って一生健康になれる


③唐瓜と茄子
 ニコ動の弾幕を見て気づいたが、唐瓜と茄子はキュウリとなす、お盆の精霊馬をイメージした。さらに言うと、キュウリ=馬、お盆のときに、少しでも早く迎えられるようにとの願いを表現し、ナス=牛を表現し、お盆が終わって、帰るときはのんびりと、これで二人の性格も合っている。原作者は随分と考えたなと感心しちゃう。
 中国のお盆は日本の習慣とだいぶ違い、紙でできたお札を燃やして、天国に送金するのが中国の習慣である。紙でできた車や馬などを燃やすところもあるが、最近家電、車など高額商品を燃やすのはトレンドだそうだ。従って唐瓜と茄子に反応がないのも当たり前だ。
 ちょっと面白いと思うのは、唐瓜=幼少期の土方、茄子=幼少期の銀時と捉える人(腐女子かな)が多い、確かに目付きと髪型は微妙に合っている。腐女子たちの想像力に脱帽。(笑)
 ちなみに茄子のセリフ「俺、パンツをモラルと呼ぶんだ。」発音が似てて、モラウが聞こえるというコメントがあった。まさか今日でもハンターハンターのファンがいるとは、ちょっと感動した(笑)




TBC

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