2014年1月28日火曜日

弾幕シリーズ(仮) 一、弾幕そのものとちょっと情報学っぽいもの(1月28日更新

 こんにちは、今日もゆるいアニメのネタです。
 弾幕についてのネタなんだが、シリーズになるかもしれない、今回はあくまでも「序」であり、現状だけ紹介する。その後、私の興味があるアニメをピックアップして、弾幕の具体的な違いを分析したいと思う。もし取り上げたいアニメがあれば、気軽に教えてください。お願いします。


弾幕シリーズ(仮) 一、弾幕そのもの

 皆さんは弾幕好きかな?私は好きだ。もし弾幕がなければ、三分の一の楽しみがなくなると思う。リアルタイムでアニメを見るのはほとんどなく、普段は大体ビリビリ動画/ひまわりで一回見て、ニコ動配信で二番煎じ、場合によってn番煎じ。時々アニメ自体はつまらないが、弾幕が面白いから続いて見られる場合もある(印象深いのはBROTHERS CONFLICT内容はありふれた乙女ゲームの感じだが、ニコ動の弾幕が面白すぎてにやにやしながら最終話まで見たorz)
 弾幕の楽しめる方法はそれぞれだと思うが、自分の場合、ネタを集めたり、新語と新しい表現を勉強したりして、日本語語彙の量は結構増えた(現実では使う機会は全然ないのだが...)。
 それ以外に、弾幕は作品の人気を直接に反映するので、違う作品を縦に比べることだけではなく、横に各話の比較も面白い、例えばまどマギ三話、天元突破の八話など急展開があったため弾幕はピークになって非常に分かりやすくて面白い。
 ニコ動の場合、弾幕の数は普通に五六千程度、1万2万超えたらもう人気作品だと分かる。一方、ビリ動の場合、昔ユーザーはまだそんなにいなかった場合、3000は上限。3000超えたら(サーバーが耐えられなかった原因かも)弾幕が消されたり反映できなくなったりする場合があった。今は全然大丈夫で、大ヒットの作品だったらニコ動に負けないくらい数である。4クール以上のアニメ1000前後は普通、3000はかなりいい方。今放送されている春アニメの場合、4000から6000はまあまあ、1万超えたら大ヒット。10分間以内の動画、MMDなど500〜1000は目安。ちなみに、コメント最大のアニメを調べたいけど、今のところどうやって調べていいか分からないので、ご存知の方教えてください。(ニコ動のほうは、一応ニコニコで最も○○な××の一覧というページがあるけれども、アニメのところ、チャンネルと動画一緒になってしまい、具体的な数は調べられない。ビリ動のほうだったら、テスト用動画以外だったら噂により美琴は可愛すぎるという動画の弾幕が一番多いらしい。ただしアニメ番組のほうも、調べる方法は分からないので、分かる方がいれば、教えてください)
 もちろん、言葉遣いとネタの古さ(?)から年齢、性別を推測するのも面白いし、さかに声優さんの人気や今一番熱いCPが分かるので、非常に興味深い。同じネタなのに、日本と中国のオタクは違う反応を示して、なぜこのような違いがあるだろうか、社会や文化の要素でもあるだろうかと考えたらわくわくしてたまらない。比較文化の視点からいい研究になるかも?!(キリッw
 では、次の記事は日中でも大人気な「鬼灯の冷徹」の第二話を取り上げ、分析してみたいと思う。今週内でアップする予定で、どうぞよろしく。



補足:
1、「弾幕」この言葉について
 書き終わったら気づいたが、「弾幕」この言葉について中国語と日本語の使い方はちょっと違う。
 まずニコ動百科により。
ニコニコ動画上のコメント機能によって、画面が同じコメントで覆い尽くされること。またそれをする行為。
説明から見れば、多少否定のニュアンスが読み取れ、「荒らし」行為だと見方もある。ただし、中国語のほうはまったくそういう感じがなく、むしろ弾幕=「画面上で流れるコメント」の使い方が主流である。ちなみに、ビリ動では一応コメント欄が設置され、自由に投稿できるが、アニメの画面上では流れない。従って、ダウンロードのリンクはよく貼られる。
図1 ビリビリ動画のコメント欄 
このような使い方とニュアンスのズレがあるので、これからこのシリーズで使われる「弾幕」という言葉は全部「画面上で流れるコメント」というふうに理解してほしい。

2、中国の弾幕サイトについて
 中国では一応四つの弾幕サイトがある。よく知られるのはビリビリ動画、Acfunだと思うが、昔の記事でTudou傘下の豆泡Tucao(日本語のツッコミの意味、詳しくはこちらの記事を参考→最近の事件から見る中国オタク向け動画サイト)についてもちょっと紹介したことがある。
 今一番人気なのはもちろんビリ動だが、比較的に年齢層が低いから弾幕がめちゃくちゃだという意見もある。ニコニコ動画のコンテンツを転載することが多いからオリジナル性が少ないかも。Acfunは運営側のせいでユーザーは昔と比べてかなり減ってきたが、大手の同人サークルに支えられたからオリジナル性が一番高く、独自なコンテンツがたくさんあり、中国オリジナルオタク文化の重要な発祥地だと思う。最近UIを改善したり、生放送に力を入れたりして、まだまだ現役だと感じられる。豆泡は出された頃から不評で、Tucaoに抜かされ、今の弾幕サイトはビリ動、Acfun、Tucao三者鼎立という状況だった。
 ちなみに、この三つのサイトとも見られるアプリがある。ビリ動の公式アプリより使いやすいので、オススメ。
図2 iACG

 ニコ動とは違い、中国の弾幕サイトはなかなか利益が出られない、ほとんど無料のコンテンツでユーザーからお金を取るはずがない。ビリ動の管理員は何百万の借金があるという噂を聞いたことがあるし、Acfunの管理員もよく自分のweiboでお金がないとつぶやく。
 このような経営方式で絶対長く続かないと思うので、これからどうするのか気になるところだ。

3、弾幕とオタク文化の高い相性
 ニコ動について多数の研究が行われ、その中社会学者の濱野はニコ動の人気を検討したとき、時間性の観点からこのように述べた。
人気動画サイト「ニコニコ動画」の場合、実際に動画を見てコメントを入れている時間はバラバラだけど、動画再生時間(タイムライン)に集約し時間軸をシンクロさせることで、一緒に見ている(リアルタイム)ような感覚がしてしまう。このように、Twitterとニコニコ動画は社会における非同期的な時間性を同期するようになり、人気がある原因の一つだと考えられる。
それ以外に、相互作用を促す触媒的な存在ーー「タグ機能」によって「N次創作」の役割も大事だと濱野が指摘した。それはあくまでも仕組みの原因で、視点を変えれば、なぜ弾幕サイトはタクだけ受けるだろうか、興味深いと思う。
 ちょっと考えてみれば、オタクって確かに国籍問わず似たような気質があると思う。図の示したように、時々深読み傾向が見られる。

図3 Anime Fan
  岡田斗司夫は「オタク学入門」の中で「オタク」とは「進化した視覚を持つ人間」と述べ、進化した視覚を持つから画面の隅々まで見て、隅々までツッコミだろうかと今思った。
 (もうちょっと書きたかったが、ニコ動の生放送を見るなうから集中できないm(_ _)m今日はこれでおしまい、続きの記事で合いましょう)

2014年1月7日火曜日

年賀状

 日本に来て二年ちょっと。毎年年賀状を送る習慣がある。最初はただの「郷に入っては郷に従え」、いつのまに習慣になってしまった。
 送る相手は本当にバラバラ。両親、バイト先の人、お世話になった先生、友達、ネット上でよく話す人、毎年20枚ほど送る。大した数字ではないが、結構手間かかっちゃう。プリンターがないため、全部手書き、メッセージも出来るだけそれぞれ違うものにする。面倒くさいけど、こだわりみたいなものになって、みんなの返しもこっそり期待している。
 年賀状は本当に不思議なもの。なぜ不思議というと、その微妙な距離感は好き。正直にいうと、連絡を取ることは好きではない、むしろ嫌なタイプで、自ら友達に「最近はどう?元気?」を聞く人ではない。心を開いて話せる友達は片手で数えられる、長年付き合いの友達は一人いるかいない程度。そんな自分だが、毎年年賀状を送る。

 文化人類学者のジェレミー・ボワセベンによる対人距離ゾーニングモデルは面白い。彼は対人距離を親密ゾーン、実効ゾーン、名目ゾーン、外延ゾーンに分ける。同じく人類学者の木村忠正は彼の理論を用い、対人距離を定量化、日本社会のコミュニケーション空間の構造モデルを提出した。彼によると、音声通話など同期的コミュニケーションの対人距離感が少ないが、空気を読む圧力のレベルが高い。それに対して、「非同期的」「非侵襲的」なテキストメッセージの場合、時間軸の離散性を容易にコントロールでき、対人関係の社会心理的空間は微妙な距離感覚を得られる。
 年賀状はまさにそういう存在である。
 手紙というメディア、特定の相手と定まれた様式で、非同期でありながらちゃんと返しは必要となる。ツイッターというメディア、不特定の相手だが自由な様式、「テンションの共有」が得られた分に「親密さ」が損になった。これは大抵のオンラインサービスの特徴であろう。
 年賀状の場合、送る相手は特定だが、自由に選ばれる。非同期的で、自分にとってちょうどいい距離感が感じられる。何よりも、「長い間連絡してないが、私ちゃんとあなたのことを覚えている、あなた今元気かどうかを気になる」という隠しメッセージが送られるので、嬉しい。これこそずっと年賀状を送り続ける理由だと思う。
 
 時代が変わり、メディア=媒体はどんな形に変わってもその本質は変わらぬままである。情報の運び手として、人と人を結ぶ。我々は、見える見えないメディア=媒体の糸によって、それぞれ端点となり、線分になる。一人の場合、単なる直線で、寂しさは無限にまっすぐ伸びる。
 だから、メディア=媒体を通じてのコミュニケーションは常に双方向でなければならない。
 だから、返しの期待はひっそり存在する。

 私は一年間くらい福岡にいた。そこで、半年くらいバイトしたお店がある。去年福岡から離れて、お店の全員に年賀状を送ったけど、一つも返事がなかった。当時バイトしていた人はまだいるかどうか分からないから今年店長とオーナーだけ年賀状に送った、今の時点で返事はまだない。別に年賀状の返しが欲しいわけではないけど、「届いたよ」みたいな確認が欲しい。メールでも構わない。
 人生の思い通りにならない事十中八九だが、何よりも人情の薄さにちょっとがっかりしたかも。よそ者の自覚があるが、やはり、少しだけでもこの土地の人間と何らかの関係を結びたいな。
 来年、また年賀状送るかな。