2014年8月15日金曜日

【TFBOYS強化月】序:TFBOYSー急げ風のように

ご注意:
1、この記事は事実やデータに基づいて書くつもりで、できるだけ公平的な立場でTFBOYSを紹介したいが、ファンであるかぎり、ファン目線の部分も時々出てくると思うので、予めご了承ください。
2、筆者は元々二次元しか興味がなかったので、アイドルに関する知識はまだまだ勉強中。もし間違いがあればご指摘ください。コメントにもお気軽にどうぞ。
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 2014年4月から、中国の芸能界に新しい風が吹き入れた。
 
 4月15日、中国最大のMV共有サイト音悦台が主催した年に一度の授賞式で、初登場の少年グループTFBOYSが「大陸人気歌手賞」をはじめ、二つの人気賞を収めた。同時に授賞式に参加したのは、中韓で活躍しているsuperjuniorや人気女性歌手の周筆暢、こういった先輩を押さえ、二度も舞台に出て挨拶した、間違いなく、当日最大の見所となった。

                                     音悦台授賞式 デビュー曲Heartを演出

授賞式にて「皆さん、こんにちは。私たち、TFBOYSです」と宣言

授賞式後のお辞儀

 彼らの勢いはまだまだこれからだった。リーダーの王俊凱は高校受験のために、一時期活動を中止したにもかかわらず、毎回weibo(中国版ツイッター)の投稿はほぼ十万以上リツイートされていた。特に勉強したときの自撮りは27万回リツイートされ、熱心のファンは受験のコツやポイントを書き込んで、話題になった。その後、メンバーの王源、易烊千玺の北京サイン会も無事に終了し、5月の下旬三人は長沙で合流、大陸で一番人気のあるバラエティ番組「快楽大本営」に出演した。

TFBOYSが快楽大本営に出演

 爽やかな印象、礼儀正しい対応、まだ若いのに実力派。5月31日番組が放送されたあと、三人のフォロワーが一気に増えて、200万人まで達した。6月、王俊凱の受験が終わり次第、新曲とCMの撮影がすぐに始まり、7月中国中央テレビの新番組「少年中国強」のイメージキャラクターとして起用され、大きな話題を呼んだ。8月6日はデビュー一周年の記念日で北京でイベントを行い、ファンの数があまりにも多すぎたので、取材に来た記者たちは退場せざるをえなかった。おそなく彼らは戸惑っただろう、なぜこの十代の三人はそこまで人気があるの?

「少年中国強」のポスター

 このような疑問を持つ人は少なくないだろう。一見、何の変哲もない三人は一体どうして人気アイドルになったのか、なぜそこまで人気を得られるか、彼らを支える事務所はなんの存在なのか、なぞなぞすぎる。

 リーダーの王俊凱は今年15歳、TFBOYSとしてデビューしたまえに、研究生として二年間活動していた。研究生の間、同じく研究生だった王源(今のTFBOYSメンバーでもある)と一緒に歌ってみた曲「一个像夏天一个像秋天」や「当愛已成往事」、「洋葱」は原曲歌手の范瑋琪阿信に高く評価され、ネット上で人気を集めた。その後、2013年8月6日、易烊千玺に加え王俊凱王源三人はTFBOYSを結成、デビューを果たした。その後、シングルソング「Heart」、「魔法城堡」が次々と披露された。

TFBOYSーHeart 日本語歌詞付け

TFBOYSー魔法城堡 日本語歌詞付け

 TFBOYSはThe Fighting Boysの略称で、頑張っている少年たちがファンに元気を与える意味付けだった。少年たちを子役ではなく、アイドルとしてデビューさせ、今まで中国の芸能界にない、大胆な試みだった。無論、これだけで人気になったなんて芸能界はそこまで甘くない。デビューしたのは2013年8月だったが、実際に人気が出始めのは今年の3月。今年の3月、何があったか、またこの出来事はTFBOYSにどんな影響を与えたのか、次の記事で解明したいと思う。


予告 
破:TFBOYSが人気になった必然と偶然

2014年2月5日水曜日

弾幕シリーズ(仮) 二、鬼灯の冷徹2話の弾幕を分析してみた(上)

 正直に言うと「鬼灯の冷徹」は中国でも大人気になったのは思わなかった。
 なぜかというと、中村光先生の「聖☆おにいさん」の評価がちょっと微妙だったからである。個人的にはすごく好きだが、宗教ネタが多すぎるのは原因かもしれないので、中国のオタクの中ではそんなに広く受けられない感じがする。テーマが似たような「鬼灯の冷徹」はそこまで受けたのは予想もしなかった、なぜ人気の差があるというと、まだ原作を読んでいる途中だけど、自分が考えたのはやはりネタとアニメ化の影響が大きいと思う。
 まず、宗教ネタについて。中国(現代中国と言ったほうが適切かも)は完全に無宗教だから、ブッダはまだいいが、イエス(キリスト教)の元ネタはあまりにも馴染まない。もちろん日本も無宗教だ、日本人は無宗派だとよく指摘されているが、自分から見ると、日本はとても宗教的な国で、日本人もすごく宗教的だ。当然欧米みたいな感じではなく、出産、結婚、葬式、日本人の生活には宗教の要素が多く含まれ、しかも様々な宗教の影響を受けている。従って、仏教だけではなく、キリスト教のネタでも受けられる。「鬼灯の冷徹」は地獄舞台で、ある程度宗教的要素が入ってるものの、「地獄」自体や仏教をネタとするところは少なく、あくまでも背景で詳しく知らなくても作品の理解に何も影響がない。「聖☆おにいさん」の舞台は東京の立川、わりと日常生活に関するシーンが多い。日本住みの人は漫画を読んで、「あるある!」と思うけれども、外国人はなかなか共感しにくいだろうなとちょいちょい思う。
 次は、オタクネタについて。鬼灯さんもブッダもイエスもある程度オタクと言えるので、作品の中でオタクに関するネタは数多く見られる。しかしネタの方向性はちょっと違う、鬼灯さんはどっちかというとアニオタ/物知り、イエスはどっちかというとゲーマー/特撮マニア、ブッダはどっちかというと漫画オタ、従って原作で出てきたネタの分野も少し違う、やはり特撮よりアニメのネタはうけやすいと思う。
 最後はアニメ化について。「聖☆おにいさん」は映画化されたが、映画の表現は原作と異なるところは結構あったので、一部の原作ファンの不満を招いた。やはりギャクマンガの場合、映画化よりアニメ化のほうがいいなと思ってしまう。

 では、弾幕の話を戻りましょう。
 鬼灯の冷徹を取り上げたのは大人気の以外に、ネタが満載で、ネタに対する違う反応を比べてみると随分といろんなことが分かるので、今回第二話を使って、分析してみた。

①OP:空耳は基本
この辺は両方ともやっているが、やはり言語の原因で空耳は随分違う。
中国語:地獄→挤蘑菇(キノコをつぶす)基友哭(ホモが泣く)もあるw
日本語:地獄連発で事後事後に聞こえちゃうよね(笑)       
        


②銀魂のネタ
 「ズラじゃない、桂だ。」
銀魂の人気は日中でも不動だと思うが、やはり日本語のネタになると中国の弾幕が薄い。「カニがズラに絡まっているズラ」に対する反応があまりない、字幕組にとって日本語のだじゃれを中国語に翻訳するのも難しいしね。


 遺品を見たシーン銀魂のネタ、新八=眼鏡また出てきた。それ以外に、鬼畜眼鏡のコメントもあって、やはりビリ動のほう女の子が多いイメージがする。

 
 同じシーンで、ニコ動のほうは「三途の川 渡し賃(六文銭)」についてのコメントが多かった。知らなかったので調べてみた、意外と面白かった。いちいち書くのはややこしいので、表を使って比べてみた。


中国
日本
地獄の玄関
奈何橋
注:①奈何はどうしようもないという意味②中国でも三途の川(忘川)があるが、渡舟がない。全員橋で渡るので、地獄の玄関と言えば、奈何橋のイメージが強い
三途の川

宗教
仏教と道教
仏教
由来
川の水は亡者生前の行為によってスビードが変わるため
渡河方法に三種類あったため
渡る方法
善人は簡単に渡るが、罪人は牛頭馬頭に「血池河」(三途の川のことかどうか知らないが)に投げられ、苦しみを体験する
渡舟によって渡河
孟婆
奪衣婆、懸衣翁
鬼の仕事
「孟婆湯」を飲ませて、亡者前世の記憶が忘れられる
六文銭を持たない死者が来た場合に渡し賃のかわりに衣類を剥ぎ取る
補足
地獄に行く→奈何橋を渡る
生き返る→銀の橋と金の橋を渡る
金の橋を渡って金持ち、権力のある人になれる。
銀の橋を渡って一生健康になれる


③唐瓜と茄子
 ニコ動の弾幕を見て気づいたが、唐瓜と茄子はキュウリとなす、お盆の精霊馬をイメージした。さらに言うと、キュウリ=馬、お盆のときに、少しでも早く迎えられるようにとの願いを表現し、ナス=牛を表現し、お盆が終わって、帰るときはのんびりと、これで二人の性格も合っている。原作者は随分と考えたなと感心しちゃう。
 中国のお盆は日本の習慣とだいぶ違い、紙でできたお札を燃やして、天国に送金するのが中国の習慣である。紙でできた車や馬などを燃やすところもあるが、最近家電、車など高額商品を燃やすのはトレンドだそうだ。従って唐瓜と茄子に反応がないのも当たり前だ。
 ちょっと面白いと思うのは、唐瓜=幼少期の土方、茄子=幼少期の銀時と捉える人(腐女子かな)が多い、確かに目付きと髪型は微妙に合っている。腐女子たちの想像力に脱帽。(笑)
 ちなみに茄子のセリフ「俺、パンツをモラルと呼ぶんだ。」発音が似てて、モラウが聞こえるというコメントがあった。まさか今日でもハンターハンターのファンがいるとは、ちょっと感動した(笑)




TBC

2014年1月28日火曜日

弾幕シリーズ(仮) 一、弾幕そのものとちょっと情報学っぽいもの(1月28日更新

 こんにちは、今日もゆるいアニメのネタです。
 弾幕についてのネタなんだが、シリーズになるかもしれない、今回はあくまでも「序」であり、現状だけ紹介する。その後、私の興味があるアニメをピックアップして、弾幕の具体的な違いを分析したいと思う。もし取り上げたいアニメがあれば、気軽に教えてください。お願いします。


弾幕シリーズ(仮) 一、弾幕そのもの

 皆さんは弾幕好きかな?私は好きだ。もし弾幕がなければ、三分の一の楽しみがなくなると思う。リアルタイムでアニメを見るのはほとんどなく、普段は大体ビリビリ動画/ひまわりで一回見て、ニコ動配信で二番煎じ、場合によってn番煎じ。時々アニメ自体はつまらないが、弾幕が面白いから続いて見られる場合もある(印象深いのはBROTHERS CONFLICT内容はありふれた乙女ゲームの感じだが、ニコ動の弾幕が面白すぎてにやにやしながら最終話まで見たorz)
 弾幕の楽しめる方法はそれぞれだと思うが、自分の場合、ネタを集めたり、新語と新しい表現を勉強したりして、日本語語彙の量は結構増えた(現実では使う機会は全然ないのだが...)。
 それ以外に、弾幕は作品の人気を直接に反映するので、違う作品を縦に比べることだけではなく、横に各話の比較も面白い、例えばまどマギ三話、天元突破の八話など急展開があったため弾幕はピークになって非常に分かりやすくて面白い。
 ニコ動の場合、弾幕の数は普通に五六千程度、1万2万超えたらもう人気作品だと分かる。一方、ビリ動の場合、昔ユーザーはまだそんなにいなかった場合、3000は上限。3000超えたら(サーバーが耐えられなかった原因かも)弾幕が消されたり反映できなくなったりする場合があった。今は全然大丈夫で、大ヒットの作品だったらニコ動に負けないくらい数である。4クール以上のアニメ1000前後は普通、3000はかなりいい方。今放送されている春アニメの場合、4000から6000はまあまあ、1万超えたら大ヒット。10分間以内の動画、MMDなど500〜1000は目安。ちなみに、コメント最大のアニメを調べたいけど、今のところどうやって調べていいか分からないので、ご存知の方教えてください。(ニコ動のほうは、一応ニコニコで最も○○な××の一覧というページがあるけれども、アニメのところ、チャンネルと動画一緒になってしまい、具体的な数は調べられない。ビリ動のほうだったら、テスト用動画以外だったら噂により美琴は可愛すぎるという動画の弾幕が一番多いらしい。ただしアニメ番組のほうも、調べる方法は分からないので、分かる方がいれば、教えてください)
 もちろん、言葉遣いとネタの古さ(?)から年齢、性別を推測するのも面白いし、さかに声優さんの人気や今一番熱いCPが分かるので、非常に興味深い。同じネタなのに、日本と中国のオタクは違う反応を示して、なぜこのような違いがあるだろうか、社会や文化の要素でもあるだろうかと考えたらわくわくしてたまらない。比較文化の視点からいい研究になるかも?!(キリッw
 では、次の記事は日中でも大人気な「鬼灯の冷徹」の第二話を取り上げ、分析してみたいと思う。今週内でアップする予定で、どうぞよろしく。



補足:
1、「弾幕」この言葉について
 書き終わったら気づいたが、「弾幕」この言葉について中国語と日本語の使い方はちょっと違う。
 まずニコ動百科により。
ニコニコ動画上のコメント機能によって、画面が同じコメントで覆い尽くされること。またそれをする行為。
説明から見れば、多少否定のニュアンスが読み取れ、「荒らし」行為だと見方もある。ただし、中国語のほうはまったくそういう感じがなく、むしろ弾幕=「画面上で流れるコメント」の使い方が主流である。ちなみに、ビリ動では一応コメント欄が設置され、自由に投稿できるが、アニメの画面上では流れない。従って、ダウンロードのリンクはよく貼られる。
図1 ビリビリ動画のコメント欄 
このような使い方とニュアンスのズレがあるので、これからこのシリーズで使われる「弾幕」という言葉は全部「画面上で流れるコメント」というふうに理解してほしい。

2、中国の弾幕サイトについて
 中国では一応四つの弾幕サイトがある。よく知られるのはビリビリ動画、Acfunだと思うが、昔の記事でTudou傘下の豆泡Tucao(日本語のツッコミの意味、詳しくはこちらの記事を参考→最近の事件から見る中国オタク向け動画サイト)についてもちょっと紹介したことがある。
 今一番人気なのはもちろんビリ動だが、比較的に年齢層が低いから弾幕がめちゃくちゃだという意見もある。ニコニコ動画のコンテンツを転載することが多いからオリジナル性が少ないかも。Acfunは運営側のせいでユーザーは昔と比べてかなり減ってきたが、大手の同人サークルに支えられたからオリジナル性が一番高く、独自なコンテンツがたくさんあり、中国オリジナルオタク文化の重要な発祥地だと思う。最近UIを改善したり、生放送に力を入れたりして、まだまだ現役だと感じられる。豆泡は出された頃から不評で、Tucaoに抜かされ、今の弾幕サイトはビリ動、Acfun、Tucao三者鼎立という状況だった。
 ちなみに、この三つのサイトとも見られるアプリがある。ビリ動の公式アプリより使いやすいので、オススメ。
図2 iACG

 ニコ動とは違い、中国の弾幕サイトはなかなか利益が出られない、ほとんど無料のコンテンツでユーザーからお金を取るはずがない。ビリ動の管理員は何百万の借金があるという噂を聞いたことがあるし、Acfunの管理員もよく自分のweiboでお金がないとつぶやく。
 このような経営方式で絶対長く続かないと思うので、これからどうするのか気になるところだ。

3、弾幕とオタク文化の高い相性
 ニコ動について多数の研究が行われ、その中社会学者の濱野はニコ動の人気を検討したとき、時間性の観点からこのように述べた。
人気動画サイト「ニコニコ動画」の場合、実際に動画を見てコメントを入れている時間はバラバラだけど、動画再生時間(タイムライン)に集約し時間軸をシンクロさせることで、一緒に見ている(リアルタイム)ような感覚がしてしまう。このように、Twitterとニコニコ動画は社会における非同期的な時間性を同期するようになり、人気がある原因の一つだと考えられる。
それ以外に、相互作用を促す触媒的な存在ーー「タグ機能」によって「N次創作」の役割も大事だと濱野が指摘した。それはあくまでも仕組みの原因で、視点を変えれば、なぜ弾幕サイトはタクだけ受けるだろうか、興味深いと思う。
 ちょっと考えてみれば、オタクって確かに国籍問わず似たような気質があると思う。図の示したように、時々深読み傾向が見られる。

図3 Anime Fan
  岡田斗司夫は「オタク学入門」の中で「オタク」とは「進化した視覚を持つ人間」と述べ、進化した視覚を持つから画面の隅々まで見て、隅々までツッコミだろうかと今思った。
 (もうちょっと書きたかったが、ニコ動の生放送を見るなうから集中できないm(_ _)m今日はこれでおしまい、続きの記事で合いましょう)

2014年1月7日火曜日

年賀状

 日本に来て二年ちょっと。毎年年賀状を送る習慣がある。最初はただの「郷に入っては郷に従え」、いつのまに習慣になってしまった。
 送る相手は本当にバラバラ。両親、バイト先の人、お世話になった先生、友達、ネット上でよく話す人、毎年20枚ほど送る。大した数字ではないが、結構手間かかっちゃう。プリンターがないため、全部手書き、メッセージも出来るだけそれぞれ違うものにする。面倒くさいけど、こだわりみたいなものになって、みんなの返しもこっそり期待している。
 年賀状は本当に不思議なもの。なぜ不思議というと、その微妙な距離感は好き。正直にいうと、連絡を取ることは好きではない、むしろ嫌なタイプで、自ら友達に「最近はどう?元気?」を聞く人ではない。心を開いて話せる友達は片手で数えられる、長年付き合いの友達は一人いるかいない程度。そんな自分だが、毎年年賀状を送る。

 文化人類学者のジェレミー・ボワセベンによる対人距離ゾーニングモデルは面白い。彼は対人距離を親密ゾーン、実効ゾーン、名目ゾーン、外延ゾーンに分ける。同じく人類学者の木村忠正は彼の理論を用い、対人距離を定量化、日本社会のコミュニケーション空間の構造モデルを提出した。彼によると、音声通話など同期的コミュニケーションの対人距離感が少ないが、空気を読む圧力のレベルが高い。それに対して、「非同期的」「非侵襲的」なテキストメッセージの場合、時間軸の離散性を容易にコントロールでき、対人関係の社会心理的空間は微妙な距離感覚を得られる。
 年賀状はまさにそういう存在である。
 手紙というメディア、特定の相手と定まれた様式で、非同期でありながらちゃんと返しは必要となる。ツイッターというメディア、不特定の相手だが自由な様式、「テンションの共有」が得られた分に「親密さ」が損になった。これは大抵のオンラインサービスの特徴であろう。
 年賀状の場合、送る相手は特定だが、自由に選ばれる。非同期的で、自分にとってちょうどいい距離感が感じられる。何よりも、「長い間連絡してないが、私ちゃんとあなたのことを覚えている、あなた今元気かどうかを気になる」という隠しメッセージが送られるので、嬉しい。これこそずっと年賀状を送り続ける理由だと思う。
 
 時代が変わり、メディア=媒体はどんな形に変わってもその本質は変わらぬままである。情報の運び手として、人と人を結ぶ。我々は、見える見えないメディア=媒体の糸によって、それぞれ端点となり、線分になる。一人の場合、単なる直線で、寂しさは無限にまっすぐ伸びる。
 だから、メディア=媒体を通じてのコミュニケーションは常に双方向でなければならない。
 だから、返しの期待はひっそり存在する。

 私は一年間くらい福岡にいた。そこで、半年くらいバイトしたお店がある。去年福岡から離れて、お店の全員に年賀状を送ったけど、一つも返事がなかった。当時バイトしていた人はまだいるかどうか分からないから今年店長とオーナーだけ年賀状に送った、今の時点で返事はまだない。別に年賀状の返しが欲しいわけではないけど、「届いたよ」みたいな確認が欲しい。メールでも構わない。
 人生の思い通りにならない事十中八九だが、何よりも人情の薄さにちょっとがっかりしたかも。よそ者の自覚があるが、やはり、少しだけでもこの土地の人間と何らかの関係を結びたいな。
 来年、また年賀状送るかな。