2013年3月11日月曜日

取りにくい日本語のニュアンス

はじめに:昨日ツイッターの一周さんと会い、日本と中国のことをたくさん話し合った。同じ言語学習者なので、中国語と日本語勉強している時困ったことについても意見を交換した。話した時、日本語のニュアンスの話題が出てきた、前からもうこれについて書きたいので、これをきっかけに少しまとめよう。もしこの記事は日本語学習者や日本語先生の参考になれば、大変嬉しいと思う。
 
 
 日本語勉強した前もうよく聞いたが、「日本語は曖昧だ」と。文法や単語の使い方とかは本で調べられるが、会話のニュアンスはなかなか分からない。母語ではないので、時々些細な違いを気づかないまま言ってしまい、誤解を招くことが多いだろう。周り日本人がいて聞けたらまだいいが、独学の人にとって多分困ると思う。これから私の実際あったことを例として、皆さんに紹介したいと思う。

1、「頑張ってください」
 「頑張る」は日本人が大好きな言葉だろう、日常生活でもよく使われる。こんな「普通」の単語なのに、私を困らせたことがある。
 それは日本に来たばかりの時だった。コンビニで初めてのバイトを見つけた私は経験なしなのに採用してくれたオーナーにすごく感激で、絶対その期待を裏切らないように努力したいと思ってた。オーナーは帰った時いつも私に「頑張ってくださいね」と言った、その話を聞いて、私はパニックに陥った。「頑張ってってどういう意味…私は何かミスでもした?頑張ってってどこから頑張るんだろう……もし首になったらどうしよう」と不安ばかりだった、仕方がなくオーナーに聞いてみた。オーナーはプレッシャーをかけるつもりは全然なかったで、応援したいだけって説明した、ほかの先輩も私を慰めて「頑張っているから、頑張ってくださいねって言うよ」と言った。
 今から見て、当時の自分は本当にバカバカしかった。しかし、このようなことがあったこそ、ありふれた日本語でもちゃんと意味があると気付いた。日本語は通じるから満足だと思ったらもうおしまい、ネイティブな語感を身につけないとまたこのようなことがあるはず。言語そのものは命ないが、生活の中で生き生きしている、文脈によって簡単な日本語でも深い意味がある、その意味をどういうふうに捉えるか私たち日本語学者考えなければならない問題である。

2、「ございますか」、「ですか」と「ございませんか」
 アルバイトは留学生にとって、日本語能力を上達する重要な手段の一つである。しかしアルバイトによって、使っている日本語も違う。今百貨店でバイトしているので、よくその違いを感じていた。
 百貨店は結構日本語(敬語)に厳しいと思う。バイトの研修を受けた時、居酒屋みたいに「いらっしゃいませ―」や「ありがとございます―」はダメで、長音はいらないと先生は言った。実際にバイトしている時もよく指摘される。例えば「になります」はダメとか、これは言われたらすぐ理解できるが、時々理解しにくい例もある。
 例えば、お客さんは一つの商品をレジに持って、私は「贈り物はございますか」と聞いて、その後バイトの先輩に一つの商品は「ございますか」じゃなくて、「ですか」だと言われた。そう言われば、確かに「ですか」のほうは自然だが、私の考えは日本語には複数と単数の区別はないのだった。もし先輩に言われないと多分ずっとこの区別をつかないだろう。また、最初よく「贈り物はございませんか」とお客さんに聞いたが、先輩に「ございませんか」より「ございますか」がいいと言われた。私は少し驚いた、敬語の中否定式の尊敬程度が高いと思ってたのに、先輩は「そうでもない、否定形だから、贈り物じゃないですかと聞こえるので、やはり贈り物ですかのほうは自然だ」と言った。
 先輩は「自然」だと言っても、私的にはその「自然さ」がイマイチ分からない、母語じゃないからあまり実感がない、本当に困るものだ。バイトじゃない場合、通じる限り一一日本語を訂正してくれる日本人はなかなかいないので、「自然じゃない」日本語は正しい日本語だと思い込んで、ちょっと怖いと思う。

3、「電車が遅れました」
 文書を書く時、過去形と現在進行形の区別は意識できるが、日常生活中よく過去のことを現在形で言って、気づいたらもう口に出した。
 その前、バイトの上司と一緒に電車を乗って出勤した。電車が遅くなったので、「電車が遅れましたね」と言ったが、上司に「電車がまだ来ないので、この場合、電車が遅れますって言いますよ。○○さんの日本語は上手ですが、このような小さい間違いを直して欲しい、ちょっと不自然だと感じますので。」言われた。その時恥ずかしくてたまらなかった。
 日本語が分からない、日本語が通じないわけではないが、通じるのに些細なことで相手が違和感を感じらせて学習者にとって大失敗だった。会話は文書と違って、考える時間が少ない、間違いを減らすために意識しながら練習しかない。もっと、もっといろんな人と話したいな。

4、「でら」と「けん」
 去年の10月福岡から名古屋に来たので、名古屋出身の人と話した時よく方言の話題が出てきた。
 私「名古屋の方言は何かありますか」
 相手「あまりないですね、でらぐらいかな。福岡は方言強いでしょう」
 私「そうですね、一緒にバイトしている人はよく何しようとって言ってます。あと、語尾はけんってついてます。」
 相手「そうですか、やっぱり博多弁かわいいですね!」
 私「え、可愛いですか……」
 相手「可愛いでしょう、名古屋弁のでらって濁音が入っててなんか可愛くないなと思って……」
 そうか、可愛いかどうかを判断する標準の一つは「濁音」だったかと気付いた。普段アニメを見て、「関西弁しゃべっている○○ちゃんは可愛すぎる!」「やっぱり○○ちゃんは○○弁だよな」などコメントはよく見られるが、「方言しゃべっているキャラは一体どこが萌えか」、あるいは「なぜこのキャラは○○弁じゃないといけないんだ」について少し戸惑ってる。勉強している日本語は標準語で、方言の魅力はあまり感じてない。「いけない」を代わりに「あかん」を言ったらかわいい?「あるんじゃん」を代わりに「あるけん」を言ったらかわいい?私はこの可愛いさが感じられない。また、方言をしゃべってるなら、その土地の「県民性」が少し反映されるだろうと思うが、実際そうでもない。
 あと、萌え要素を豊かにするため、キャラがしゃべている日本語もどんどん「おかしくなる」。猫耳のキャラがしゃべっている時語尾は「ニャン」をついてるのはまだ理解できるが、イカ娘がしゃべっている時なぜ語尾は「ゲソ」をついてるのだろう、「イカのゲソ」は知ているが、イカは鳴かないので別に言わなくてもいいだろうと思う。その「ゲソ」は単なるイカ身分の証明なのか、それとも「ゲソ」から性格が見えるのかと悩んでいる。また、「黒子のバスケ」の中で、緑間の口癖は「なのだよ」、緑間は「理性的で、プライドが非常に高く、常に上から目線の物言いをする人物」だと知ているから、なんとなくこの語尾のニュアンスを捉えるが、もしほかの人は「なのだよ」を使ったら、この人も同じ性格なのかちょっと判断しにくいだろう。
 
 ここまで書いて、文字数は予想よりちょっとオーバーした(笑)。以上の例はあくまでも一部であり、まだ自分が気づいてない「おかしい日本語」「自然ではない日本語」たくさんあるかもしれないが、これも日本語勉強の楽しみだよね(笑)